真っ暗だったトンネルのようなところを歩き続けている。
先程からトンネルが、少し明るくなってきた。
まだ先だがトンネルの周囲をぐるっと囲んでモザイクのようなネオンの光のようなチカチカ動くところが見えてきている。
歩き続けてどのくらいになるだろう。
時間の感覚もあやふやだ。
「お父さん!頑張って!」
あれは娘の声か。
「お父さん!」
あれは妻だな。
きっと俺は病院のベッドに寝かされていて、周りに妻と娘がいるんだ。
もうすぐ、死ぬに違いない。
声が聞こえなくなったらいよいよ終わりだな。
このトンネルの先に見えるチカチカ輝く場所は死と何か関係しているのだろうか?
啜り泣く妻と娘の声を聞きながら、どのくらい歩いたろう。
次第にトンネルをぐるっと囲んでいるチカチカした灯りが近くに見えてきた。
どうやら、モニター画面のようなものが、無数に壁面や地面、天井を埋め尽くしてきて、それがトンネルの先まで終わりなく続いているようだ。
何かが映し出されているが、モニター画面ごとに違う映像らしい。
それがチカチカと光が点滅して動いて見えているようだ。
1番近くのモニターまであと数十メートルくらいだろうか。
一つのモニターをよく目を凝らして見ると、どうやらそれは俺の姿のようだ。
まだ若い俺だ。
こんなビデオを撮った記憶も見たこともない。
初めて見る映像だが、確かに俺だ。
どこかで勉強しているのか?机に向かっている。
あれは、きっと浪人時代に図書館で勉強している俺の姿だ。
もう一つのモニター画面を見ると、車を運転している今の俺だ。
あっ、あれは、そうだ!思い出した!俺はさっきまで車を運転していたんだ。その時の映像だ!
さらにその隣も見えてきた。
あれは、俺がまだ小学生になる前、東京の大塚のこれから入学予定の小学校の校庭で、卒業する6年生と離れて並び、お互い駆け寄って手紙を受け取る場面に違いない。懐かしい!
その隣のモニターも見えてきた。
おじいちゃん、おばあちゃんと食卓を囲んでいる中学生の俺だ。親父やお袋が転勤で名古屋に行っているので、おじいちゃんとおばあちゃんと三人で暮らしていた時だな。おじいちゃんもおばあちゃんも若いなあ。
そうか、わかったぞ。
この永遠に続いているトンネルの周りにあるモニターは、自分の過去の全てがランダムに流れている映像なんだ。
おそらくこの一つ一つのモニター映像は生まれてから死ぬまでの65年間が映像で流れているに違いない。
それが、無数に時期がずれて映し出されているんだ。
このトンネルを歩き続けるということは、自分の過去を永遠に見続けると言うことなんだ!
天国も地獄もないんだ。
いい時もあれば悪いこともある。
それを映像で永遠に見続ける。
これこそが、天国であり、人によっては地獄なんだ!
そうか!これが死後の世界なんだ!
善良なことをたくさんした人は、この先たくさんその場面を見ることになるし、人殺をした人は、その瞬間の映像を永遠に見続け、自責の念から離れることができないんだ。
なるほど、それはある意味で科学的で誰にとっても公平な死後世界だなあ。
自分の一生以外のことは出てこないのだから。
考えてみれば、人間が想像した天国も地獄もそんな世界があるはずはない。あるのは自分の辿った一生の記憶だけなんだ。
そんなことを考えながら、歩いていると、医師だろうか、聞いたことのない男性の声が微かに聞こえてきた。
「脈が取りにくくなってきています。危篤です。」
その時だった。
「ゆうじさん!ゆうじさん!どうして!何があったの?」
あれは!恋人のすみ子の声だ。
まずい!妻と娘がいる俺の枕元にすみ子が来たんだ!
「あの、どちら様ですか?」
「あとで話ます!ゆうじさん!しっかりして!」
参ったなあ、、、。
死んでしまえば、どうでもいいけど、このままだときっとトンネルの先にこの場面と俺が死ぬまでのどさくさな場面まで永遠にモニター画面で見ることになるなあ。
たぶん、このままだと死ぬから、その後のどさくさは永遠に分からずにモヤモヤして永遠の時間を過ごすことになる。
嫌だなあ、それは。
このまま楽に気持ちよくトンネルを歩いて行こうと思ったし、この妻や娘と初対面の恋人すみ子のどさくさ場面に立ち会いたくはないけど、ここはなんとかしないと!
後半に続く
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槙島源太郎
作家兼発行人
年齢、住所不詳。謎に包まれるユーモア小説作家、槙島源太郎が贈る笑いの数々。
ビジネス書の作家としても活躍中。
現在まあまあ週に一度のリリースを目指して書き続けている。
夢は世界を笑いに包み、平和を取り戻す脚本家兼映画監督。
先程からトンネルが、少し明るくなってきた。
まだ先だがトンネルの周囲をぐるっと囲んでモザイクのようなネオンの光のようなチカチカ動くところが見えてきている。
歩き続けてどのくらいになるだろう。
時間の感覚もあやふやだ。
「お父さん!頑張って!」
あれは娘の声か。
「お父さん!」
あれは妻だな。
きっと俺は病院のベッドに寝かされていて、周りに妻と娘がいるんだ。
もうすぐ、死ぬに違いない。
声が聞こえなくなったらいよいよ終わりだな。
このトンネルの先に見えるチカチカ輝く場所は死と何か関係しているのだろうか?
啜り泣く妻と娘の声を聞きながら、どのくらい歩いたろう。
次第にトンネルをぐるっと囲んでいるチカチカした灯りが近くに見えてきた。
どうやら、モニター画面のようなものが、無数に壁面や地面、天井を埋め尽くしてきて、それがトンネルの先まで終わりなく続いているようだ。
何かが映し出されているが、モニター画面ごとに違う映像らしい。
それがチカチカと光が点滅して動いて見えているようだ。
1番近くのモニターまであと数十メートルくらいだろうか。
一つのモニターをよく目を凝らして見ると、どうやらそれは俺の姿のようだ。
まだ若い俺だ。
こんなビデオを撮った記憶も見たこともない。
初めて見る映像だが、確かに俺だ。
どこかで勉強しているのか?机に向かっている。
あれは、きっと浪人時代に図書館で勉強している俺の姿だ。
もう一つのモニター画面を見ると、車を運転している今の俺だ。
あっ、あれは、そうだ!思い出した!俺はさっきまで車を運転していたんだ。その時の映像だ!
さらにその隣も見えてきた。
あれは、俺がまだ小学生になる前、東京の大塚のこれから入学予定の小学校の校庭で、卒業する6年生と離れて並び、お互い駆け寄って手紙を受け取る場面に違いない。懐かしい!
その隣のモニターも見えてきた。
おじいちゃん、おばあちゃんと食卓を囲んでいる中学生の俺だ。親父やお袋が転勤で名古屋に行っているので、おじいちゃんとおばあちゃんと三人で暮らしていた時だな。おじいちゃんもおばあちゃんも若いなあ。
そうか、わかったぞ。
この永遠に続いているトンネルの周りにあるモニターは、自分の過去の全てがランダムに流れている映像なんだ。
おそらくこの一つ一つのモニター映像は生まれてから死ぬまでの65年間が映像で流れているに違いない。
それが、無数に時期がずれて映し出されているんだ。
このトンネルを歩き続けるということは、自分の過去を永遠に見続けると言うことなんだ!
天国も地獄もないんだ。
いい時もあれば悪いこともある。
それを映像で永遠に見続ける。
これこそが、天国であり、人によっては地獄なんだ!
そうか!これが死後の世界なんだ!
善良なことをたくさんした人は、この先たくさんその場面を見ることになるし、人殺をした人は、その瞬間の映像を永遠に見続け、自責の念から離れることができないんだ。
なるほど、それはある意味で科学的で誰にとっても公平な死後世界だなあ。
自分の一生以外のことは出てこないのだから。
考えてみれば、人間が想像した天国も地獄もそんな世界があるはずはない。あるのは自分の辿った一生の記憶だけなんだ。
そんなことを考えながら、歩いていると、医師だろうか、聞いたことのない男性の声が微かに聞こえてきた。
「脈が取りにくくなってきています。危篤です。」
その時だった。
「ゆうじさん!ゆうじさん!どうして!何があったの?」
あれは!恋人のすみ子の声だ。
まずい!妻と娘がいる俺の枕元にすみ子が来たんだ!
「あの、どちら様ですか?」
「あとで話ます!ゆうじさん!しっかりして!」
参ったなあ、、、。
死んでしまえば、どうでもいいけど、このままだときっとトンネルの先にこの場面と俺が死ぬまでのどさくさな場面まで永遠にモニター画面で見ることになるなあ。
たぶん、このままだと死ぬから、その後のどさくさは永遠に分からずにモヤモヤして永遠の時間を過ごすことになる。
嫌だなあ、それは。
このまま楽に気持ちよくトンネルを歩いて行こうと思ったし、この妻や娘と初対面の恋人すみ子のどさくさ場面に立ち会いたくはないけど、ここはなんとかしないと!
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作家兼発行人
年齢、住所不詳。謎に包まれるユーモア小説作家、槙島源太郎が贈る笑いの数々。
ビジネス書の作家としても活躍中。
現在まあまあ週に一度のリリースを目指して書き続けている。
夢は世界を笑いに包み、平和を取り戻す脚本家兼映画監督。